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2007年8月12日(日) いよいよ出発の日である。 早朝6時に宿をチェックアウトし、駅へと向かう。雨はやみ、爽やかな風が頬を撫でて心地良いが、乾いていないスニーカーで歩くのは仕方ないとは言え心地悪い。 稚内駅の車止めの先に、「最南端から伸びる線路はここが終点」との看板が建っている。私の旅ではここが西大山への出発地点となるのだが、最南端の西大山とセットでの表記に思わず頬の筋肉が緩む。 さて行くぞ!と駅へと向かい、「日本最北端 稚内驛」との表示を横目に駅舎に入ると、改札待ちの人が5名ほど屯していた。列車別改札は特に北日本で多く見掛けるが、北海道は確か発車5分前ぐらいにならないと改札が始まらなかったなぁと思い出した。 稚内駅は北の終着駅だが、島式ホームが1本あるだけだ。そのホームに名寄行き普通列車となるキハ54の単行が、恐らく南稚内駅から回送されてきたのであろう到着し、更に暫くした後、漸く改札が開始される。青春18きっぷに1日目の判子をもらって改札を抜けた。 さて、この旅では出来るだけのんびり車窓を楽しむことを第1の目的とし、各日の行程については、 1.基本的に普通列車を利用 2.概ね8時前後に行程開始(日中の居眠り防止のためムリな早起きはしない) 3.概ね18時までに行程終了(暗くなる前に行程を終え、早寝して翌日に備える) という基本ルールを設定した。 にも関わらず、初っ端から6時台の出発と例外適用であるが、次の普通列車は10時台までないのだ。稚内7時10分発の特急を使えば音威子府でこの普通列車に追い付くが、音威子府までの運賃+特急料金が4,480円も掛かるとなると馬鹿馬鹿しい。 という訳で、今朝は頑張って早起きしたのである。 ホームの端に建っている日本最北端駅の碑を眺め、思いも新たに列車に乗り込む。 ◆第1ランナー:宗谷線名寄行き普通(稚内6:24→名寄10:31) 雲の切れ間から射し込んだ朝日を受け、何とも清々しい出発となった。 10名程度の乗客を乗せて稚内を出た列車は、稚内の町並みを眺めながら暫く走り、南稚内に停車。ホームには[はなたび利尻]の編成が憩っている。 新たな乗客を5名ほど乗せて南稚内を出、暫くすると北の原野へと入っていく。そして、日本海を見下ろすビューポイントに出るのだが、残念ながら利尻富士はその姿を見せてくれなかった。 宗谷線はこのあと内陸部に入り、原野の中を突き進んで行く。時折平地に出るが、この辺りまで来ると農作には向かないらしく、牧草地が広がるばかりだ。その広大な放牧地をのそのそと乳牛が歩いているのを見て、漸く北海道を旅しているという実感が沸いてくる。空路で北海道入りしたのは今回が初めてだったし、しかもいきなり道北に入ったりしたので、思考が身体に付いて来ていなかったのだ。 稚内から1時間ほどで幌延に着く。60.0kmの道程を61分で走ってきたから、普通列車にしてはかなりの俊足である。昔の宗谷線はDD13だったかが旧式客車列車をのんびり牽いて走っていて、もっと鈍足だったと記憶しているのだが・・・。ところで、幌延には留萌から羽幌線という長いローカル線が通じていたのが、とうの昔に廃止されていて、それらしき痕跡は伺えなかった。1980年代に廃止された特定地方交通線は特に北海道と九州に多く、これから立ち寄る先々でその痕跡を見る機会があるだろうと思う。 幌延を出て暫く走ると天塩川に沿って走るようになる。如何にも北海道らしい、川原がなくてうねうねと曲がりくねった川だが、昨日の雨の影響か濁流になっている。そういえばいつの間にかどす黒い雲が広がって、今にも泣き出しそうな空模様となっている。 天北線が分岐していた音威子府に着く。到着前に左の車窓を伺っていたら、廃線跡らしきものが見えたような気がしたが定かではない。稚内からの130.1kmを136分という相変わらずの俊足でやってきたが、ここで50分もの大休止となっているのでホームに降りてみる。音威子府といえばホームの蕎麦屋が有名だったのだが、いつしかホームからは撤退していて、今は改札の外で出店しているらしい。という訳で改札を出てみたのだが、営業は9時半からとのことで残念ながらペケ。仕方がないので駅前を暫し徘徊して見つけたスーパーで、何の変哲もないサンドイッチを買って底入れしておく。にしても、音威子府の新しい駅舎はどうも好きになれない。 音威子府からは、畑が多く目に付くようになる。日本一の赤字路線として有名だった美幸線が分岐していた美深辺りからは水田もちらほら見えるようになってきた。 名寄には定刻の10時31分に到着。いつの間にかまた真夏の太陽が照り付け、北海道にしてはかなり気温が高くなっている。 名寄の駅舎は昔のままだった。四方に鉄路が伸びていた要衝だったのが、宗谷線の単なる中間駅と成り下がってしまった名寄だが、普通列車の運転系統はここで分かれていて、構内も広いままだ。 深名線も名寄線も廃止されているので、ここから先は宗谷線を辿るしかない。 ◆第2ランナー:宗谷線旭川行き普通(名寄11:06→旭川12:52) 名寄以南は以北に比べて列車本数が倍増するのだが、編成はキハ40の単行である。恐らく単行で充分なのだろうが、乗る方にしてみればもう少しゆったりしたいものだ。 さらりと座席が埋まるぐらいの乗車率で名寄を出た列車は、さすがに国鉄タイプの気動車ということもあって賑々しく且つのんびりとした歩みで進んで行く。真夏の青空が広がり、空気が綺麗な分だけ陽射しも強く、冷房のない車内は非常に暑い。走っていれば開け放った窓から涼風が吹き込むが、停車すると床下機器からの熱気も上がってくるので堪らない。寛平爺さんの『止まると死ぬんぢゃ』というネタを思い出すぐらいである。 さてさて、昔の北海道の鉄道旅行といえば仮乗降場の発見という楽しみもあったのだが、民営化後は営業キロを与えられて駅に昇格してしまったので、全国版の時刻表にも乗っている。が、設備自体は仮乗降場のままの駅もあって、ホームの長さは車両1両分にも満たない。稚内で乗車する時、なぜ北海道のワンマン前乗り前降り?他所は後乗り前降りなのに・・・と思ったのだが、なるほどこれでは後乗りは不可能だ。 和寒を出ると原生林の中に突っ込んで、上り勾配を上って行く。右に左にカーブを切りながら塩狩峠を越える。 テレビCMで一躍有名になった比布辺りから、乗ってくる人が多くなった。北永山辺りからは完全に旭川の市域に入り、永山で席が埋まって立つ人も多い状態になる。 左から石北線が合流し、高架橋へと駆け上がって新旭川に停車。もう満員である。 旭川四条でも乗り降りが多く、繁盛しているのは目出度いことだが乗ってる身には堪える。右にカーブを切りながら地平に降りると、もう旭川駅の構内である。が、南側に真新しい高架橋が立ち上がっていて工事中である。どうやら旭川駅は近い将来高架駅に生まれ変わるようだ。 旭川駅の改札口を出ようとして驚いた。なんと自動改札機が導入されているのだ。一つしかない有人改札口には、整理券と小銭で精算しようとする人が行列を作っており、自動改札機を通る人はほとんどいない。一体全体、何のための自動改札機?という感じだ。とまれ、私は精算の必要がないが自動改札機は通れない青春18きっぷなので、精算している人の後ろを、切符を頭上に掲げて改札氏へ見せながら出場した。 旭川の駅前は暑かった。只今の気温33.2℃との表示が目に入る。が、当初予定通り旭川ラーメンを食べることにする。事前に調べて決めていた『青葉』へ行ってみると短い行列が出来ている。2〜3人なので待とうと思ったが、前で並んでいるおっさんが風上でタバコに火を点けたので逃げ出した。 次に予定していた駅前ビルの『ピーコック』へ行ってみると、こちらは意外にもすいている。早速しょうゆラーメンを賞味してみると、これがむちゃくちゃ美味い。これほどコクのあるラーメンスープは初めてである。でいて、全くしつこさは無くてスルスルと喉に入っていく。汗だくになりながらも休むことなく麺を啜り、スープも1滴残らず飲み干して大満足だった。 駅に戻り、再び混雑している有人改札を通る。 さて、この日本縦断鉄道旅行ではご無沙汰している多くの路線に立ち寄るため、ずいぶん入り組んだ縦断ルートとなっている。ここ旭川からは、石北線を下って道東へと向かう。石北線は旭川と網走を結ぶ幹線であるが、列車本数は宗谷線同様少なく、特に上川〜白滝間を走る普通列車となると1日2往復しか走っていない。今日は北見まで行く予定だが、次に北見まで行く列車は15時05分発の特快[きたみ]までない。が、その前に13時39分発の上川行きの普通列車があるので、取り敢えず上川まで進もうと思う。 ◆第3ランナー:石北線上川行き普通(旭川13:39→上川14:53) さらりと座席が埋まる程度で旭川駅を後にしたキハ40単行ワンマン列車は、先ほど来た道を戻るような感じで新旭川を過ぎると、右へカーブを切りながら地平に降りて宗谷線と別れる。相変わらずギラギラした陽光が照り付けて非常に暑いが、走っていれば開け放った窓から涼風が吹き込んでくる。 さすがに旭川は市域が広く、車窓には住宅地が連なっている。ところが駅の方はみすぼらしい物も多く、どれだけの人が鉄道を使っているのかと思う。 当麻を過ぎた辺りから車窓に田畑が目立つようになってきた。と、いきなり窓から無賃乗車の珍客が飛び込んできたから驚いた。近年の鉄道車両は冷暖房完備で、元から窓が羽目殺しとなっているものも多いので、こういった状況は古き良き時代の鉄道旅行のようで新鮮である。 旭川から70分強で終点の上川に到着。旭川よりはましだが、やはり北海道にしては異常なほど暑い。 さて、上川はラーメン日本一の町と謳っているほどの街なので、ここでもラーメンを食べようと思う。事前に調べていた駅に程近い『しばやま』に入り、醤油ラーメンを食べる。確かに美味い、が、『ピーコック』を食べた後なのでインパクトは薄い。順序が逆なら、ここでも大満足なんだろうなと思う。 ちょっと早めに駅へ戻り、北見行き特快[きたみ]の改札を待つ。上川からの下りは、[きたみ]を逃すとあとは特急2本しかないという物凄いダイヤなので、乗り遅れるわけにいかない。 ◆第4ランナー:石北線北見行き特快[きたみ](上川15:49→北見18:24) キハ54の2連という編成でやってきた特快[きたみ]は満席の混雑。仕方なく最前部のデッキに陣取って前面展望を楽しむ。上川を出るとすぐに北見峠への上り勾配に差し掛かる。右に左にカーブを切りつつ、原生林の中を力強く走っていく。ふと思い立って時刻表を開いて確認すると、次に停車するのは2駅先の白滝駅だが、上川から44分も掛かるのだった。 不意に信号機が見え、分岐器を渡って停車。昔は駅だった上越信号場で、暫く待っていると札幌行きの特急[オホーツク6号]がやってきて交換。あちらもなかなかの乗車率のようだった。出発信号に進行が現示されて上越信号場を出ると、スノーシェードをくぐって石北トンネルに突っ込む。長いトンネルの中で北見峠を越え、下り勾配に転じる。トンネルを出ても原生林の中だが、惰行で気持ちよく下っていく。徐々に平地が広がり、車窓に畑が目立つようになってきた。駅近辺にはそれなりに町並みも広がっている。 そして、これまでになく大きな町に入ったなと思ったら、右から線路が寄り添ってきて遠軽に到着。石北線はここでスイッチバックする線形となっており、先ほど寄り添ってきた線路は北見方面への線路である。以前はここ遠軽からオホーツク海沿岸に出、紋別を経て名寄へと結んでいた名寄線という線区もあったのだが、これも興浜南線や渚滑線といった支線もろとも廃止されてしまっている。遠軽では方転のため6分ほど停車する。乗客の入れ替わりも多かったので、窓側の席にありつけた。同じキハ54でも宗谷線で乗ったのとは違い、簡リクのロマンスシートが車両中央へ向けて固定配置されている。よくよく見ると、どうやら新幹線車輌で使われていたシートのようだ。 遠軽までは特急並みに通過駅が多かった特快[きたみ]だが、遠軽から先はよく停まる。車窓には畑が広がり、民家もあちこちに見えるので、それなりに利用者も見込めるということなのだろう。 が、生田原を出ると様相が一変し、キツイ上り勾配をのそのそと上っていく。常紋峠を短いトンネルで越えると下り勾配に転じ、見る見るうちに街が広がって留辺蘂に着く。留辺蘂からは田園地帯を走り、徐々に北見の市域へと入って行く。いつしか乗客も増え、満員に近い状態になっている。 西北見を出ると最終区間。さて降りる準備をしようかと思ったところで長いトンネルに突っ込んだから驚いた。どうやらこの辺りの線路は地下化されたようだ。トンネルを抜けて左へ緩いカーブを切ると、夕暮れ近い北見に到着。 降りたホームの向かい側に停車している緑行き普通列車に乗り継ぐ人が多いが、それを横目に跨線橋を渡って出口へと向かう。今日の行程は、ここ北見までである。 もう夕暮れなのに暑い駅前を歩いて、予約してあるホテルへと向かった。
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