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乗り鉄 in 中国地方ぐーるぐる
(第4日目)

日本海の荒波を眺めつつ
日本海の荒波を眺めつつ

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2003年1月1日(祝)

新しい年が明けた。とはいえ、ホテルをチェックアウトしたのは早朝5時20分で、夜明けには程遠い。横殴りの強い風雨が叩きつけ、クルマもほとんど走っていない浜田の街を、傘を斜めに差して足早に駅へ向かう。
駅前のコンビニは、24時間営業ではないようで閉まっていた。出来ればここで朝食を調達しておきたかったのだが止むを得まい。

さて、今年の乗り初めとなるのは5時32分発の山陰線益田行き始発普通列車。早朝の浜田駅は、照明は煌々と点いているが無人駅状態なので、フリーパスで改札を抜けて1番線で発車準備を整えているキハ120の単行に乗り込み、運転士に青春18きっぷを示して今日の日付を入れてもらう。

定刻に発車したキハ120は、暗闇を突っ切るように走る。相変わらず風雨が強く、時折大きな雨粒が車窓を叩く。
短いトンネルを幾つも抜け、どうやら線路は上りに掛かっているようだが、車窓は真っ暗である。右の車窓には日本海が広がっているのかと思い、漁火のひとつでも見えないかと目を凝らすが、元旦早々日本海の荒海に出る物好きな漁師もいないだろうから、灯り一つ見えない。それでも右の車窓に注目していると、折居を出て暫く行ったところで、車内の灯りが打ち寄せる日本海の白波を照らした。

岡見に到着すると、ここで交換する上りの始発列車が慌しく発車していった。こちらは8分停車し、更に[スーパーくにびき4号]と交換する。気分転換にホームへ降りてみようかと思ったが、相変わらず風雨が強いので大人しく車内で待つ。闇の中から、車内灯を煌々と点けた[スーパーくにびき4号]が姿を現したが、車内は閑散としていて乗客は3名しか認められなかった。ま、通過列車を眺めただけなので見落としはあるかもしれないが、片手で数えられるぐらいしか乗っていなかったのは確かだ。

闇の中を淡々と走り、浜田から55分ほど掛かって益田に到着。ここから更に西へ向かうべく、6時34分発の長門市行き普通列車に乗り換え。
雨は小降りになったが、相変わらず冷たい風が吹き付けている。跨線橋を渡っているうちに、すっかり身体が冷えてしまった。急ぎ足でキハ47に乗り込むと、適度に暖房が効いていてありがたい。走りはキハ120に劣るが、暖房はキハ47の方が効く。まだ夜明けは遠そうなので、暫し仮眠を取ることにする。暖かいので風邪を引くこともないだろう。

目が覚めると宇田郷に停車していた。空は白んでいて雨も止んでいるようだが、重そうな雨雲が垂れ込めていて、吹き付ける風は強い。
宇田郷を出ると日本海が見えた。所々に白波が立っていて、如何にも冬の日本海らしい光景である。暫く日本海の眺めを楽しんでいたのだが、長門大井を出ると海岸線から離れてと山へ分け入っていく。すると、雲が切れて晴れ間も見えてきた。

東萩では、6分停車して益田行き普通列車と交換。ホームに下りてみると、いくぶん弱くなったが風は冷たい。喫煙コーナーを見付け、発車時刻までに一服点ける。どうやら今年も止められそうにないな・・・。
東萩からはワンマン運転。玉江を出るとまた海岸沿いに出るが、長くは見せてくれずトンネルに突っ込む。
次の三見でも8分停車して、益田行き普通列車と交換する。通学時間帯なので、列車本数は比較的多いのだった。三見を発車すると、不意に山の端から太陽が顔を出した。初日の出ではないが、元旦の太陽は何故かありがたく思える。

ところが、ひと山越えて長門三隅に到着すると、霰混じりの雨が落ちてきた。仙崎湾をかすめ、右から仙崎枝線の単線が寄り添ってきて長門市に到着してみれば、横殴りの大雨である。よくよく考えてみれば、長門にはレインぼーずの教祖様がお住まいだったっけ・・・。
ともあれ、これで山陰線という大物が全線踏破路線の仲間入りを果たした。

長門市からは、益田へ取って返すこととなっている。次の益田行き普通列車の発車まで30分ほどしかないが、ここで朝食を摂っておきたい。ところが、長門市駅前には食事が摂れるような店が見当たらない。雨が強いので歩く気にもならず、仕方なく駅の売店でスニッカーズと野菜ジュースを購入して底入れしておく。

長門市9時06分発の益田行き普通列車は、ロングシート仕様キハ120の単行。ローカル線用として開発されたキハ120が山陰線を走るのは少々違和感あるのだが、山陰線といってもこの辺りは実態としてはローカル線のようなものなので、特におかしくないのかもしれない。事実この列車も、座席の多くないロングシート仕様ながら、全ての座席が埋まるまでの乗客はない。

来た道を戻るのだから、車窓を見るのも退屈だ。面白いことに、萩まで戻ってくると、また雲が切れて青空が広がってきた。豪雨は、レインぼーずの教祖様が住まわれる長門市近辺だけの局地的なもののようだった。
退屈な車窓といっても、日本海だけは別である。先ほどより海は荒れているようで、白波が多くなって水平線もギザギザに見える。
戸田小浜を出ると、防風林か防砂林か松林の中を駆け抜け、高津川を渡って益田に到着した。



益田の駅前には、バスとタクシーが入り乱れていた。どこかで食事は摂れないものかと辺りを見回すが、土産物屋が数軒見えるだけで、手早く食事を摂れそうな店は見付けられず、諦めて駅へ戻る。

次に乗車するのは山口線。一昨々年の夏に、小郡から津和野まで[SLやまぐち号]に乗車したことがあるので、益田から津和野までが未踏破区間である。
益田11時22分発の山口行き普通列車はキハ40の単行。ホームで入線を待つ人は多く、定員乗車では窮屈となるクロスシートは避けてロングシートを狙って着席。発車時刻が近付くほどに乗客は多くなり、立つ人もジベタリアンも多くなる。
ほぼ満員の乗客を乗せて定刻に益田駅を発車した列車は、左へカーブを切って山陰線と別れると、まずは高津川の右岸に沿って遡上する。しかし、すぐにトンネルに突っ込むと支流の本俣賀川の細い流れに取り付き、休業中の水田を左右に眺めて淡々と走っていく。

再び高津川に出合うと石見横田で、ここで益田行き普通列車と交換。更に乗客が増え、窓ガラスも曇って景色が見難くなってしまった。
石見横田を出ると、高津川に沿って山峡へ分け入って行く。対岸には国道9号線が見えるが、交通量はそれほど多くない。

高津川と別れ、支流の津和野川に沿うようになって、日原に到着。現在は3セクの錦川鉄道となっている国鉄岩日線は、岩国と日原を結ぶ予定であったのだが、途中の錦町まで部分開業した後に国鉄の廃止対象路線に指定されてしまった。岩日線が目指していた日原とは、どのようなところなのか? 山口線に乗るにあたって気になっていた点なのだが、山峡の小駅といった感じで民家も数軒しか見えない。町の中心部から離れたところに駅があるのかもしれないが、それほど大きな町でないことは容易に想像がついた。

日原からは、津和野川に沿って遡上しているはずなのに、なぜか下り勾配を駆け下りるような感じになり、少し長めのトンネルを抜けると、いきなり盆地に出た。まるで桃源郷のように思える車窓の展開だが、ここが津和野である。
[SLやまぐち号]のお蔭(?)で全国的にも有名となった津和野だが、観光の町でもある。満員状態で走ってきたこの列車も、ここでかなり空いた。津和野稲成へ初詣に出掛ける人も多いのだろう。

津和野を出ると、分水嶺の長いトンネルを抜けて山口県に入る。と、沿線に多くの撮影者が三脚を立てているのが見える。[SLやまぐち号]は、冬季は運転されないはずだが?と思ったが、今日は[SL津和野稲成初詣号]として運転されているのであった。
徳佐で件のSL列車と交換。前面に日章旗を掲げたりなどして誇らしげだが、次位にはDD51が応援に付いていてちょっと格好悪い。

徳佐を出るころから雨が降ってきた。山口県に入ったが、まだこの辺りは地形的には山陰に近いのだろう。地福あたりからは、駅ごとにSLの撮影を終えたらしい人が数人ずつ乗車してきて、再び車内は混雑する。
篠目を出て、長いトンネルを抜けると晴れてきた。どうやら山口線における陰陽の境目は、このトンネルのようだ。次の仁保から路線は平坦となり、山口県の県庁所在地駅である山口に到着。

降りたホームの向かい側に、4分乗り継ぎとなる13時21分発の小郡行き普通列車が待っていた。今度はキハ47の2連で、座席がさらりと埋まるぐらいの乗車率となる。
山口を出ると、短い駅間でちょこまか停まる。各駅では数人ずつ乗車してきて、車掌は忙しく車内補充券を売って回る。山口から20分ほどで小郡に到着。ここから先は、寄り道しながらではあるが、山陽を東に向かうのみだ。



ところで、朝からスニッカーズと野菜ジュースしか腹に収めておらず、空腹の極みである。小郡での乗り継ぎ時間は20分強しかないが、取り急ぎ何か食べておかねばと改札を出てみると、うどん屋が目に入った。いそいそと店内に入ってメニューを見ると、なぜか小郡なのに讃岐うどんを発見。迷っている暇もないので注文したが、これが思いのほか美味かった。

14時17分発の快速[山陽シティーライナー]は115系の4連。下関から瀬戸までを疾駆する長ロングラン列車である。小郡駅4番ホームには長い行列が出来ていたが、混んでいるのは跨線橋の階段より前に停まった3両だけで、最後尾の4両目まで行ってみると、ロングシート部分に空席を発見できた。

快速[山陽シティーライナー]と立派な名前がついているが、快速運転するのは岩国〜八本松間だけで、この辺りは各駅に停車する。とはいえ、さすがに山陽線なので駅間距離は比較的長く、大阪近郊区間に乗りなれている身には快速運転のような感じだ。よくよく考えてみれば、この列車が今年初の電車乗車である。
窓からは山陽の穏やかな冬の陽射しが射し込み、腹が膨れたこともあって睡魔が襲ってきた。今朝は早かったので、無理せず暫し仮眠を貪る。

小郡から40分ほどで徳山に到着。30分程度の仮眠であったが、眠りが深かったのか頭がスッキリした。
徳山からは、気分も新たに岩徳線の踏破を目指す。岩徳線は櫛ヶ浜(徳山の東隣の駅)と岩国を結ぶ路線で、路線図を見ると瀬戸内海沿岸を走る山陽線の短絡線のように見えるが、正しく昭和9年の開業時にはこちらが山陽線を名乗った由緒ある路線である。
ところが、当時は勾配に弱い蒸気機関車牽引列車が主流であったため、遠回りでも平坦な柳井経由が見直され、こちらは昭和19年に岩徳線というローカル線に成り下がってしまった。
この山陽線のルート変更は、現在でも山陽線経由の乗車券が岩徳線経由の距離で運賃計算されるという形で残っている。この区間の運賃は山陽新幹線にも適用されるので、短い岩徳線経由の運賃が適用されることで大きな収入減(損失?)となっている。今では岩徳線に地方交通線運賃(換算キロ制)を導入して少しはマシになったのだが、それでも柳井経由より17.3kmも短い。これを新大阪〜博多の新幹線運賃に当て嵌めてみると、柳井経由なら9,560円となるところが、岩徳線経由で計算するため9,350円で済んでいるのだ。JR西日本にしてみれば、自身が赤字ローカル線であるばかりでなく、稼ぎどころの山陽新幹線の収入までをも減らしてしまっている岩徳線は、なんとも恨めしい存在だろう。

15時07分発の岩徳線経由岩国行き普通列車は、キハ47の2連。単行でも間に合うかな?と思う程度の乗車率で徳山を発車すると、右の車窓に工業地帯の煙突を眺めながら本線上をトコトコと走っていく。
頭上にあった山陽新幹線の高架橋が左へ別れていくと、ポイントを渡って櫛ヶ浜に到着。3分ほど停車して本線下り普通列車の接続を取り、岩徳線に足を踏み入れる。と、先ほど別れた山陽新幹線の高架橋が再び車窓に現れ、周防花岡から生野屋まで併走する。

生野屋を出て山陽新幹線を左に見て別れると、車窓は切通し・橋梁・トンネルと、目まぐるしく展開する。あまりにも景色の移り変わりが激しすぎて解りづらいが、上り勾配が続いているようである。
大河内を出て山陽自動車道をアンダークロスすると、一転して下り勾配。西日を背に、トコトコと下っていく。
下り勾配の途中で勝間駅に停車。今では片面ホームの停留所だが、草生した構内はとても広く、2面3線の立派な駅だったようだ。ホームの有効長も8両分ぐらいあり、引込み線の跡も認められた。
更に勾配を下り、高水駅に停車。ここは今でも交換可能駅だが、どうやら2面3線に通過線まで有する非常に立派な駅だったように見える。ホームは勝間より更に長く、10両編成の列車も停車出来そうだ。

地図を見ると、この辺りは北側の1kmも離れていないところに山陽新幹線が併走しているのだが、あちらは山の中をトンネルだらけで突っ切っているので、全く見えない。こちらも、ちょっと長めのトンネルを抜けて、米川に到着。民家を見下ろす山の斜面にホームがあり、駅前は狭い丘のようになっている。丘からの降り口に、犬小屋があって犬が1匹繋がれていた。米川駅利用者には、駅の犬として親しまれていることだろう。
米川からは暫く島田川に沿い、徐々に勾配を下ると線路際に民家が増えてきた。

玖珂でキハ40単行の下り列車と交換し、次の欽明路を出るとまた山へ分け入る。この辺りは、並行する新幹線・山陽自動車道・県道とも長いトンネルで峠越えとなっている。我が岩徳線も長いトンネルに入り、トンネルの中で下りに転じた。トンネルを抜けると山裾に取り付き、御庄川の細い流れを見下ろして更に勾配を下っていく。やがて崖っぷちの際どいところへ出、20制限が掛かってだらだらとした走りになって柱野駅に到着。このような路線が山陽線だった時代もあったのだ。

柱野を出て右カーブのトンネルを抜けると、不意に左から単線非電化のレールが近付いてきて、岩徳線に合流した。これが国鉄岩日線の3セク転換路線である錦川鉄道で、私にとっては未踏破線区である。既に16時を回り、冬の太陽は大きく西へ傾いているので、今日はこのまま岩国まで行って一泊し、錦川鉄道には明日の朝乗るつもりだったのだが、トンネルを抜けて錦川鉄道の起点である川西に到着すると、ちょっと思い出したことがあって下車した。

川西駅のホームに降り立って驚いた。簡素な片面ホームの停留所なのだが、ホームがむちゃくちゃ長いのだ。予定外の下車となったので時刻表で調べてみると、乗りたい錦川鉄道の錦町行きは25分ほどの待ち合わせ。時間があるので、ホームのからまで歩いてみると、なんと289歩もあった。
ホームは斜面に貼り付くように設置されており、駅の出口は55段の階段に繋がっている。駅の外に出て見上げてみると、完全なローカル小駅である。ホームには錦川鉄道のゼロキロポストが誇らしげに建っているが、これほど起点らしくない起点も珍しい。



駅の傍には何もないし、ホームは冷たい風が吹き付けていて寒いので、次の岩国行き普通列車で一駅西岩国まで行ってみる。錦川鉄道の列車は全て岩国まで乗り入れているので、予定の錦町行き列車に乗るには全く問題ないし、青春18きっぷを使用しているので別途の出費もない。

16時26分発の岩国行きは、錦川鉄道の赤いレースバス。錦川を渡り、右へ左へとカーブを切って西岩国に到着。西岩国駅は元2面3線の立派な駅である。今では中線のレールが剥がされ、無人駅にもなってはいるが、駅舎は非常にお洒落な造りである。これを見ただけでも、西岩国駅で降り立った価値があるというものだ。
駅前の案内看板によると、開業当初はこの駅が岩国駅を名乗っていたそうで、錦帯橋を中心とした観光客のほとんどが、この駅を利用していたらしい。
川西駅で身体がすっかり冷えてしまった。天井の高い駅舎の中で、自販機のポタージュスープを飲んで暖を取る。
西岩国駅に滞在すること約15分、お待ちかねの錦町行きレールバスがやってきたのだが、先ほど川西から乗ってきたレールバスが岩国で折り返してきたものだった。

起点の川西を出ると、トンネルを抜けてポイントで右へ別れる。分岐した直後に、線路際に2kmポストが見えた。御庄川の細い流れを渡り、山裾の寂しいレールをトコトコ走っていく。山陽自動車道をアンダークロスし、更に山陽新幹線をアンダークロスして御庄に到着。元は島式ホームの交換可能駅だったようだが、片方のレールが剥がされて片面ホームになっている小駅に降り立った。

さて、御庄などという小駅にやって来た理由だが、山陽新幹線の新岩国駅に隣接していて、徒歩連絡も可能だと聞いたことがあったので、実地見聞してやろうと思ったから。事実、錦川鉄道レールバスの車内放送でも、山陽新幹線連絡駅と案内していた。

錦町へ向かうレールバスを見送り、まずは御庄駅ホームを観察。据え付けられたヨかコキフの車掌室を改造した待合室はヘンに水色に塗られているのが却って哀れである。詳しく見てみると、昭和62年改造と記された銘版を発見した。改造後、何年レールの上を走ったのかと思う。
ホームだけ見ていると、ホントにどこにでもある小駅に思えるが、すぐ傍に新幹線の高架橋があるし、ご丁寧に乗り換え案内の看板も設置されている。案内に従って階段を下りると、通路の突き当たりにも案内看板を発見。これに従って左に折れると、新幹線の高架沿いにある通路に出た。しかし、職員専用の通路みたいな感じで、一般人が歩いていいものか?とも思う。

とぼとぼ歩いていくと、新岩国駅の正面入り口に出た。御庄駅ホームから新岩国駅改札までは5分程度しか掛かっておらず、東京駅の京葉線ホームよりずっと近い。山陽新幹線が博多まで開通したとき、御庄を新岩国に改称して同じ駅にしてしまうテもあったのではないかと思う。ま、当時の国鉄にしてみれば、下手に新幹線連絡駅にしてしまうと、赤字ローカル線の岩日線を切り捨て難くなるという考えもあったのかもしれない。事実、岩日線は3セクの錦川鉄道に転換されていることだし。

新岩国駅の出口には、御庄駅への順路を示す大きな看板が設置されていた。時刻表も併設された立派なものだが、残念ながら列車本数は多くない。
再び、職員専用みたいな通路を歩き、御庄から17時28分発の岩国行きレールバスに乗車。17時44分に岩国に到着して、岩徳線の踏破も無事に完了。今宵は岩国に投宿することとなっている。

日が沈んですっかり夜になってしまっているが、やはり山陰に比べれば寒さは厳しくない。駅から歩いて5分ほどの位置にあるビジネスホテルへ向かった。


本日の踏破路線:山陰線の一部区間(浜田〜長門市→全線踏破達成),山口線の一部区間(津和野〜益田→全線踏破達成),岩徳線(岩国〜櫛ケ浜),錦川鉄道の一部区間(川西〜御庄)
 

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